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『遵法責務論』

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初めての単行本『遵法責務論』を弘文堂より上梓しました。

遵法責務論 10 | 弘文堂

 

奥付の刊行日は8月30日ですが、23日ごろより書店に出ております。

(なお拙著を含む法哲学叢書は、拙著をもって第1期を終え、今後は第2期に入ることになります。第2期のラインナップは拙著の最後の頁をご覧ください。)

 

「遵法責務」ときいてピンとくる方は、なかなかいないだろうと思います。「悪法問題」のほうがまだ耳慣れているかもしれません。私なりに一言でいえば、「不正な法に従う道徳的義務はあるのか」を、「国民に、自らの国のすべての法に従う道徳的義務はあるか」という問いとして扱い取り組むのが、遵法責務論です。

 

「なぜこんなひどい法があるのか」「なぜ法の名のもとに、こんなひどいことがまかり通るのか」という感覚を持ったことがある方は少なくないだろうと思います。こんなことは許されない、即刻こんな法はなくすべきだと憤る。

しかし、そこから進んで「ひどい法なんだから従わなくてもいいんだ」と考えて、法を無視するとしたらどうでしょうか?「民主主義なんだから、立法過程を通じて法を改廃すべきだ」と考える方はかなりいるはずですし、「数の力で押し通した法を尊重しなければいけないいわれは何もない」と答える方もいるかもしれません。「そもそも不正な法はどう説明したって不正で、法がどんなことを定めていても、正しい行いをすべきだ」と思った方もいるでしょう。

このようにして、不正な法を前にどうふるまうべきかが俎上に上ってきます。その問いこそが、遵法責務論のきっかけであり、拙著が取り組んだものです。

 

私がどのように答えたかは、ぜひ拙著をご覧いただきたいと切に願っています(ただ、関連する話題をおいおい、このブログで扱っていきたいと考えています)。「答えが間違っている」「答えになっていない」というご批判は、当然あるだろうと覚悟しています。しかし、どうして私が答えられていないのかを考えていただけるとすれば、拙著の役割の過半は果たされたものと考えています(無責任のそしりを免れないですが)。

 

拙著が成り立つにあたって、お世話になった方は数え切れません。その方々の恩に少しでも報いるためにも、私は全身全霊研究に精進するつもりです。その一端をこのブログで書いていけたらと思っています。