『どうする家康』の愉しみ

初回放送後、すでに4週間経ち、まさにいまさら何をかいわんやだが、今年の大河ドラマは『どうする家康』である。
本務校の静岡大学静岡キャンパスは、家康が人質時代を過ごし、天正年間に武田遺領を領有して城を築き、さらに大御所時代(慶長年間)に江戸城をもしのぐ巨城を天下普請で構えたまちにある。

大河ドラマは、観光客動員では、アニメ作品の「聖地巡礼」をも上回る影響力をもつことがある。
1987年の『独眼竜政宗』以降、作品の舞台となるまちでは、大河ドラマ館がつくられ、いわば「大河ドラマツーリズム」の拠点の一つとなってきた。
毎年の大河ドラマ放送にあわせて、ゆかりの地にもたらされる経済効果が報道されるのも、恒例である。
『どうする家康』では、愛知県岡崎市が「家康公生誕の地」、浜松市が「徳川家康公ゆかりの地 出世の街」、そして静岡市は「家康公が愛したまち」ということで、それぞれ大河ドラマ館を設けてしのぎを削っている。

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あえて記すのも無粋ではあるが、第3回までの『どうする家康』では、主人公に究極の選択が迫られる場面が描かれてきた。
初回は、駿河に愛着がある家康(元康)が、織田軍の取り囲む大高城へ兵糧を届けるも、太守今川義元桶狭間で討ち死にし、籠城か迎撃か選択を迫られる、というストーリーであった。
第2回では、織田につくか今川につくか、第4回では、織田信長と盟約を結びつつ、駿府にいる瀬名(たち)と信長の妹の市とどちらをとるか、という厳しい二者択一に家康が直面した。
静岡大学名誉教授である本多隆成さんは、近時『徳川家康の決断――桶狭間から関ヶ原大坂の陣まで10の選択』(中公新書)を上梓したが、本作も、桶狭間の戦い以降の家康が、数々の局面で「どうする」のか、どうやって戦国時代を生き抜くかを描くのだろうと思う。

https://www.amazon.co.jp/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7%E3%81%AE%E6%B1%BA%E6%96%AD-%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%81%8B%E3%82%89%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%80%81%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3%E3%81%BE%E3%81%A710%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%9A%86%E6%88%90-ebook/dp/B0BJKHP7VL/ref=sr_1_8?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3S0GBPMSQGDHB&keywords=%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7&qid=1675526151&sprefix=%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7%2Caps%2C213&sr=8-8


個人的印象であるが、『どうする家康』では、登場人物の造型がわかりやすいものでありながら、ドラマチックであるように思う。
優柔不断で「かよわい」主人公、

『どうする家康』の愉しみ

初回放送後、すでに4週間経ち、まさにいまさら何をかいわんやだが、今年の大河ドラマは『どうする家康』である。
本務校の静岡大学静岡キャンパスは、家康が人質時代を過ごし、天正年間に武田遺領を領有して城を築き、さらに大御所時代(慶長年間)に江戸城をもしのぐ巨城を天下普請で構えたまちにある。

大河ドラマは、観光客動員では、アニメ作品の「聖地巡礼」をも上回る影響力をもつことがある。
1987年の『独眼竜政宗』以降、作品の舞台となるまちでは、大河ドラマ館がつくられ、いわば「大河ドラマツーリズム」の拠点の一つとなってきた。
毎年の大河ドラマ放送にあわせて、ゆかりの地にもたらされる経済効果が報道されるのも、恒例である。
『どうする家康』では、愛知県岡崎市が「家康公生誕の地」、浜松市が「徳川家康公ゆかりの地 出世の街」、そして静岡市は「家康公が愛したまち」ということで、それぞれ大河ドラマ館を設けてしのぎを削っている。

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あえて記すのも無粋ではあるが、第3回までの『どうする家康』では、主人公に究極の選択が迫られる場面が描かれてきた。
初回は、駿河に愛着がある家康(元康)が、織田軍の取り囲む大高城へ兵糧を届けるも、太守今川義元桶狭間で討ち死にし、籠城か迎撃か選択を迫られる、というストーリーであった。
第2回では、織田につくか今川につくか、第4回では、織田信長と盟約を結びつつ、駿府にいる瀬名(たち)と信長の妹の市とどちらをとるか、という厳しい二者択一に家康が直面した。
静岡大学名誉教授である本多隆成さんは、近時『徳川家康の決断――桶狭間から関ヶ原大坂の陣まで10の選択』(中公新書)を上梓したが、本作も、桶狭間の戦い以降の家康が、数々の局面で「どうする」のか、どうやって戦国時代を生き抜くかを描くのだろうと思う。

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個人的印象であるが、『どうする家康』では、登場人物の造型がわかりやすいものでありながら、ドラマチックであるように思う。
優柔不断で「かよわい」主人公、

移民問題ワークショップ(日本法哲学会学術大会@東京大学)

先週末、母校にて法哲学会学術大会でした。

土曜日午後の後半は、移民問題をテーマにしたワークショップ(「移民正義論の今日的課題――移民の社会統合と「デモス」の範囲)でした。「外国人材」受入れのための出入国管理法改正や、中南米からの「キャラバン」など、移民問題に関わる話題が連日ニュース等でにぎわしており、ワークショップを開催する側としてはタイミングにも恵まれた感があります(不謹慎な言い方かとは思いますが)。80名強の参加者を得ることができました。

※大会案内は以下のリンクよりどうぞ。
http://houtetsugaku.org/_userdata//pamphlet2018.pdf

まず西山先生から、アメリカの移民をめぐる制度や政治状況について概観するご報告をいただきました。きわめてわかりやすく、得るところの多い内容で、しかも聴いている側を惹き付ける語り口。聞き惚れました。

次いで拙報告。移民の社会統合のあり方を、平等論から明らかにすることを目指したものでした。文字通り拙い報告であったのですが、きわめて的を射た質問をいただき、(小並感な言葉ですが)とてもありがたく楽しかったです。

井上先生のご報告は、定住外国人への選挙権付与問題を動機として、分析的政治哲学における民主制正当化論を扱うものでした。いつもながらではあるのですが、クリアで、言葉のイメージでごまかさない精緻な内容で、舌を巻きました。

(重複しますが)フロアからの質問も、どれも核心を衝くものでした。時間が限られていて、議論を深めていく余裕がなかったことが、残念でした。しかし、今回のワークショップを一つのきっかけにして、今後やりとりを継続できれば、企画者としても、一研究者としても、この上なくうれしく思います。

改めまして、西山先生、井上先生には、ほんとうにありがとうございました。

『不法移民はいつ〈不法〉でなくなるのか』、本日書店に並びます!

本日、拙訳書『不法移民はいつ〈不法〉でなくなるのか――滞在時間から滞在権へ』(白水社)が、書店に並びます。感慨ひとしおです。
このエントリでは、本の概要を紹介します。書店で手にとるときに、参考にしていただければ幸いです。

f:id:risinguptothesurface:20170921222624j:plain

1 原著のテーマ:不法移民問題
拙訳書の主たる部分は、以下の本の翻訳です。
Joseph Carens Immigrants and the Right to Stay, MIT Press, 2010.
https://www.amazon.co.jp/Immigrants-Right-Boston-Review-Books/dp/0262014831/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1505902000&sr=1-1&keywords=immigrants+and+the+right+to+staywww.amazon.co.jp

解説でも記しましたが、原著はBoston Review誌のForum欄に掲載された諸論文を原型としています。それらは以下のサイトで読むことができます。
The Case for Amnesty: Time Erodes the State’s Right to Deport
bostonreview.net

さらに、原著を用いた、カレンズ自身によるワークショップの動画(途中まで)が、YouTubeに上がっています。

youtu.be

本書のテーマは、アメリカの不法移民問題です。その実情については、次のエントリで簡単なガイドをしたいと思います。しかし、アメリカに1170万に及ぶ不法移民がいること、そしてオバマ政権下で一部の不法移民について退去強制を猶予する措置がとられていたところ、トランプ政権が措置を撤廃する方針であること、などは、ニュース報道などでご存知の方も多いと思います。
不法移民の多くは、すでに長くアメリカに滞在しており、仕事をもち、パートナーや子どももいます。退去強制となり出身国に戻っても、働く場所も住む場所も覚束ないということが少なくありません。それでもなお、彼らが移民法に反して入国したのである以上、退去強制にすべきなのでしょうか?本書では、この問いをめぐって、ジョセフ・カレンズと6人の研究者(メイ・ナイ、キャロル・スウェイン、ダグラス・マッセイ、リンダ・ボスニアック、ジーン・エルシュテイン、アレクサンダー・アレイニコフ)が議論しています。

2 訳者解説

不法移民問題にいかに答えるかを考えるにあたっては、そもそも移民をいかに受け入れるべきか、すなわち移民正義を踏まえておかなくてはなりません。先進諸国のほとんどでは、移民単純労働者の受け入れにはきわめて消極的です。しかし、食うや食わずの状態にある人々が、生活を成り立たせるために先進国に移住してくる、それを拒むのが、ほんとうに正義に適っているといえるのでしょうか?
不法移民問題の前提をなす、この「そもそも」の話をするために、解説では、移民の受け入れのあるべき姿をめぐって争われている、移民正義論の現状(の一部)について、立ち入って検討しました(そのため、解説が訳文を超える分量になっています)。

あらかじめ断っておきますが、私自身の見解は、移民受け入れに対して必ずしも積極的なものではありません。不法移民を生み出す主たる要因が、移民単純労働力のプッシュとプルにある以上、それに真正面から答える不法移民対策が必要、という見解には与しています。しかし、地球上のすべての人々が平等に移動の自由を有していて、それに反する移民規制は不正だという考え方(「開放国境論open border theory」といいます)には、賛成しません。なぜ賛成しないのかについては、ぜひ解説をお読みいただきたいと思います。
しかし開放国境論に賛成するにしても反対するにしても、移民問題の現状を虚心坦懐に認識したうえで、さまざまな移民正義論を色眼鏡で見ずに冷静に評価することが必要です。拙訳書を上梓した最大の動機は、そういう冷静な移民政策論議に少しでも資する材料を提供したい、と思ったからです(解説のあとに付けた読書案内も、同様にその材料となれば幸いです)。

3 座談会
 たいへん光栄でうれしいことに、拙訳書に、井上彰さん(東京大学谷口功一さん(首都大学東京との座談会を収録することができました。お二人のことはあらためてご紹介するまでもないかと思います。井上彰さんは、わが国の政治哲学の第一人者の一人で、正義論を中心に、きわめて精緻で鋭く面白い議論を行っています。井上さんの『正義・平等・責任――平等主義的正義論の新たなる展開』は、今後正義論を研究する者が必ず取り組むべき必読書です。

井上彰『正義・平等・責任――平等主義的正義論の新たなる展開』岩波書店、2017年。

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谷口功一さんは、公共性論・郊外論をはじめとして、多くの著書・論文・訳書があり、近時スナックについての学術的研究で名を馳せています(『日本の夜の公共圏――スナック研究序説』では、私も小文を掲載させてもらいました)。さらに、移民・難民研究でも、実地調査をふまえて、避けて通ることのできない問題提起を行っています。

谷口功一・スナック研究会編著『日本の夜の公共圏――スナック研究序説』白水社、2017年。

www.amazon.co.jp

谷口功一「郊外の多文化主義」『アステイオン』第83号、2015年、38-55頁。https://www.amazon.co.jp/gp/product/448415224X/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=448415224X&linkCode=as2&tag=newsweekjapan-22

※この論文は、以下のサイトに、転載されています(補遺も付されています)。
第1回 
www.newsweekjapan.jp
第2回 
www.newsweekjapan.jp
第3回 
www.newsweekjapan.jp
第4回 
www.newsweekjapan.jp
補遺(「モスク幻像、あるいは世界史的想像力」
www.newsweekjapan.jp

言わずもがななことですが、移民問題に対する3人の見解は異なります。しかし、移民や移民受入国の直面する現実を直視し、その上で移民の受け入れがいかにあるべきかを論じる、「素面」の議論が必要だという点で、認識は一致しています(このことは、あらゆる政策的議論に共通することでしょうが)。

4 きれいごとだけでは通らない 

座談会で谷口さんがいみじくも述べていますが、カレンズも、また6人の研究者も、「あえて隙のある議論をして」います。ツッコミどころが満載なのをわかっていて、シンプルでわかりやすい立論をしている。
なぜそういう議論が必要なのか?一つには、現在進行形で政策イシューとなっている問題に対して提言をなすには、わかりやすさが必要だから、ということもあるでしょう。しかしそれ以上に私が大事だと思うのは、さまざまな留保をおく、穏当な、しかし自身の立場を曖昧にするような議論では、移民問題をほんとうに引き受けたことにはならないからです。
移民も不法移民も、受入国の人々も、移民政策次第で、自らの生活の成否が左右される。移民問題にコミットする者は、その責任を負うべきだ。だからこそ、逃げ隠れしてはならない。きれいごとだけ言って済ませてはならない。原著を最初に読んだとき、寄稿者たちのそういう覚悟を感じ、紹介したいと考えました。そのような姿勢こそ、わが国の移民政策(だけではありませんが)を論じる者に必要なものだと思っています。

『問いかける法哲学』

f:id:risinguptothesurface:20160922124135j:plain
更新の間があいてしまい、すみません。

先日20日に瀧川裕英編『問いかける法哲学』(法律文化社)が刊行されました。15問の(より)具体的・実践的なトピックに取り組むなかで、法哲学上の基本問題に迫っていく「いきなり実戦」式の本です。

* Amazonでは20日から発売されていますが、地元の戸田書店丸善ジュンク堂では、昨日現在まだ並んでいないようです。

【2016.09.22 17:00補足:本書で扱われている内容(問い)について、目次を引き写しておきました。参考にしていただければ幸いです。】

【2016.09.22 18:05補足:本書の章目次、章と節の目次をPDFファイルで作成しました。以下のDropboxからダウンロードしてご利用ください。】

www.dropbox.com

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---以下、目次---

はじめに

第Ⅰ部 自由
 
01 ドーピングは禁止すべきか?――米村幸太郎(横浜国立大学
1 ドーピングをめぐる現状
2 パターナリズムとフェアプレイ
3 スポーツの目的からの議論、そして国家の役割についての問題
4 私はこう考える

02 自分の臓器を売ることは許されるべきか?――鈴木慎太郎(愛知学院大学
1 はじめに:そして魔神現る
2 なぜ移植患者のために臓器を提供しなくてよいのか
3 所有権があることの意義
4 自己所有権は正当化できるか
5 臓器売買を考える
6 自己所有権の限界を考える
7 むすびに:魔神からの問いかけ

03 犯罪者を薬物で改善してよいか?――若松良樹学習院大学
1 はじめに
2 刑罰の条件
3 自由刑
4 化学的去勢
5 おわりに

04 ダフ屋を規制すべきか?――登尾章(國學院大學兼任講師)
1 「ダフ屋を規制する」とはどういうことか?
2 なぜダフ屋を規制すべきなのか?
3 なぜダフ屋を規制すべきではないのか?
4 可謬主義的市場論とは何か?

05 チンパンジーは監禁されない権利を持つか?――野崎亜紀子(京都薬科大学
1 はじめに
2 2つの視角:認識能力と法的権利の付与
3 動物の権利と動物の福祉
4 動物保護の法制度
5 再びチンパンジーへの法的権利の付与問題を考える
6 おわりに:チンパンジーは監禁されない権利を持つか?

第Ⅱ部 平等

06 女性専用車両男性差別か?――松尾陽(名古屋大学
1 はじめに
2 法律家の語り方:差別を語る前に
3 差別はなぜ許されるのか/許されないのか?
4 女性専用車両(男性排除車両)は男性差別か?
5 結びに代えて

07 同性間の婚姻を法的に認めるべきか?――土井崇弘(中京大学
1 はじめに
2 単純な対立図式とその限界
3 婚姻とは何か?
4 国家が婚姻について法的に制度化するのはなぜか?
5 国家による婚姻の法的制度化はそもそも必要か?
6 「婚姻の私事化」の主張は魅力的・説得的か?
7 おわりに

08 相続制度は廃止すべきか?――森村進一橋大学
1 はじめに
2 相続制度の存在理由
3 平等主義による相続制度廃止論
4 権利の性質による相続制度廃止論

09 児童手当は独身者差別か?――瀧川裕英立教大学
1 2つの子ども問題
2 児童手当
3 善に対する正義の優位
4 児童手当は中立的か?
5 発展的問題

10 年金は世代間の助け合いであるべきか?――吉良貴之(宇都宮共和大学
1 はじめに
2 世代間正義のための公的年金
3 福利の時間的範囲
4 まとめ

第Ⅲ部 法と国家

11 裁判員制度は廃止すべきか?――関良徳(信州大学
1 裁判員制度をめぐる問題状況
2 裁判員制度を考えるために:法哲学からの視点
3 裁判員制度を廃止すべきか
4 裁判員制度を廃止すべきではない
5 裁判員制度は改革されなければならない

12 女性議席を設けるべきか?――石山文彦(中央大学
1 はじめに
2 日本における女性の過小代表と諸外国の多様なクォータ制
3 女性の過小代表と議会の正統性
4 女性の過小代表と議会の判断の歪み
5 ポジティブ・アクションとしてのクォータ制
6 おわりに

13 悪法に従う義務はあるか?――横濱竜也(静岡大学
1 はじめに
2 悪法は法ではない:自然法論の「悪法」論
3 悪法も法だが、従うべきではない:法実証主義の悪法論
4 悪法にも従うべきである:遵法義務の根拠
5 悪法への不服従をどう考えるべきか?

14 国家は廃止すべきか?――住吉雅美(青山学院大学
1 「国家は要らない」と言いたくなるとき
2 国家不要論に関連する法哲学上の諸論点
3 自由は秩序を生み出すのか?
4 国家は要るのか、要らないのか?

15 国際社会に法は存在するか?――郭舜(北海道大学
1 なぜこの問いか
2 問いの意味
3 制裁への着目
4 内的視点
5 国内法は法の典型例か
6 価値負荷性
7 結論

索引
執筆者紹介

---以上、目次---



一章を担当したにすぎない私が言うのは僭越ですが、読者の方々には、「各章がトピックにどのような解答を与えているか」だけでなく、「各章のトピックから、法哲学的問題関心へと、どのように接近していっているか」――つまりはトピックの法哲学的レレヴァンスをどのように示しているか――も、見ていただけるとうれしいです。どの分野でもそうかもしれませんが、問いへの答えが合っているか間違っているかよりも、具体的な疑問を出発点に、どういう問い、どういう問題関心に照準をあわせていくかに、書き手の苦心と工夫が詰まっているので。



私は第13章「悪法に従う義務はあるか?」を担当しました。先月上梓した『遵法責務論』と問題関心は重複しています。しかし、大学の学部生やロースクールの方々に読んでもらうことを想定して、できるかぎり読みやすい叙述に努めたつもりです。

本章冒頭の「どぶろく裁判」について、注などでも記しましたが、以下の文献もあわせて読んでいただければ幸いです。

○棟居快行他『基本的人権の事件簿〔第4版〕』
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本書の「自分のつくった酒が飲みたい――ドブロク訴訟〔事件7 酒造りの自由〕」は、記述は短いですが、被告人(前田俊彦)の立論をわかりやすく検討しています。第5版(最新版)には収録されていないので、図書館などでご覧いただければと思います。

○前田俊彦『ドブロクをつくろう』
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%86-%E5%89%8D%E7%94%B0%E4%BF%8A%E5%BD%A6/dp/4540810022/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1474512020&sr=1-2&keywords=%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%86
どぶろく裁判」の被告人が著した本。どぶろくの作り方と、前田がなぜ「酒造りの自由」にこだわったかが記されています。



「悪法も法か、悪法に従う義務はあるか」という問いは、法概念論の中心問題の一つですが、法概念論については、本書第15章、郭舜さん担当の「国際社会に法は存在するか?」をも、ぜひともご覧いただきたいところです。「国際法は法か」という問いを、どのように受けとめるべきかをめぐって、法命令説やハンス・ケルゼンの所説、そしてH・L・A・ハートの内的視点の議論が批判的に検討されています。郭さんの結論――「国際法は法か」とは「国際法が法とみなされるべきか」という問いだ――をどう考えるかを含め、読者の皆さんに一度取り組んでみてほしいと、切に思います。

『遵法責務論』

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初めての単行本『遵法責務論』を弘文堂より上梓しました。

遵法責務論 10 | 弘文堂

 

奥付の刊行日は8月30日ですが、23日ごろより書店に出ております。

(なお拙著を含む法哲学叢書は、拙著をもって第1期を終え、今後は第2期に入ることになります。第2期のラインナップは拙著の最後の頁をご覧ください。)

 

「遵法責務」ときいてピンとくる方は、なかなかいないだろうと思います。「悪法問題」のほうがまだ耳慣れているかもしれません。私なりに一言でいえば、「不正な法に従う道徳的義務はあるのか」を、「国民に、自らの国のすべての法に従う道徳的義務はあるか」という問いとして扱い取り組むのが、遵法責務論です。

 

「なぜこんなひどい法があるのか」「なぜ法の名のもとに、こんなひどいことがまかり通るのか」という感覚を持ったことがある方は少なくないだろうと思います。こんなことは許されない、即刻こんな法はなくすべきだと憤る。

しかし、そこから進んで「ひどい法なんだから従わなくてもいいんだ」と考えて、法を無視するとしたらどうでしょうか?「民主主義なんだから、立法過程を通じて法を改廃すべきだ」と考える方はかなりいるはずですし、「数の力で押し通した法を尊重しなければいけないいわれは何もない」と答える方もいるかもしれません。「そもそも不正な法はどう説明したって不正で、法がどんなことを定めていても、正しい行いをすべきだ」と思った方もいるでしょう。

このようにして、不正な法を前にどうふるまうべきかが俎上に上ってきます。その問いこそが、遵法責務論のきっかけであり、拙著が取り組んだものです。

 

私がどのように答えたかは、ぜひ拙著をご覧いただきたいと切に願っています(ただ、関連する話題をおいおい、このブログで扱っていきたいと考えています)。「答えが間違っている」「答えになっていない」というご批判は、当然あるだろうと覚悟しています。しかし、どうして私が答えられていないのかを考えていただけるとすれば、拙著の役割の過半は果たされたものと考えています(無責任のそしりを免れないですが)。

 

拙著が成り立つにあたって、お世話になった方は数え切れません。その方々の恩に少しでも報いるためにも、私は全身全霊研究に精進するつもりです。その一端をこのブログで書いていけたらと思っています。